― 社長の“善意”が、社員を壊してしまうとき ―
「間違ったことは、間違ってると言わなきゃダメでしょ。」
そう思っている社長は少なくありません。
むしろ、それこそが「経営者としての責任」だと信じている方も多いでしょう。
「本人のためを思って、ちゃんと厳しく言ってる」
「甘やかしたら本人の成長にならない」
「社会はもっと厳しい。会社はその準備の場だ」
――すべて、正論です。
でも、その“正しさ”が、誰かを深く傷つけ、
静かに会社を去らせているとしたら、どう思いますか?
社長の「正しさ」と、社員の「感じ方」は違う
経営者の視点から見れば、社員の行動や姿勢に気になる点が山ほどあるかもしれません。
挨拶が小さい
報告が遅い
成長意欲が感じられない
視野が狭い
協調性に欠ける
これらを見て、「これは放っておけない」と感じ、
つい声を荒げたり、厳しく注意したりすることもあるでしょう。
けれど、社員の側から見れば、まったく別の景色が見えています。
「いきなり怒られた」
「どうすればよかったのか分からない」
「あの人に目をつけられたら終わり」
「何をしても否定される」
つまり、社長が「正しいことを言った」と思っていても、
社員はそれを「人格否定」として受け取ってしまっていることがあるのです。
なぜ「正しいことを言ってるのに伝わらない」のか?
このギャップの背景には、一つの思い込みがあります。
それは、**「正しいことを言っていれば、伝わるはずだ」**という思い込みです。
でも、人は「何を言われたか」ではなく、
**「どう言われたか」や「誰に言われたか」**で反応しています。
同じ言葉でも、信頼している上司からなら素直に聞ける。
けれど、普段から否定されていると感じている相手から言われると、それはすべて「攻撃」に聞こえる。
つまり、「伝え方」よりも前に、関係性が問われているのです。
経営者は、社員にとって絶対的な“強者”
ここで、忘れてはいけない前提があります。
中小企業の経営者は、社員にとって“絶対的な存在”です。
発言権を持ち
解雇権を持ち
給与を決める側であり
人間関係の中心にいる
つまり、**「言い返せない相手」**なのです。
そんな相手から、「もっとちゃんとやれ」「お前の考えは甘い」と言われれば、
たとえそれが正論であっても、社員は「自分が否定された」と感じてしまう。
これは「メンタルが弱い社員の問題」ではなく、人間心理として自然な反応です。
善意が、暴力になるとき
実際に、こんな相談を受けたことがあります。
ある社長が、新人社員に毎日厳しく指導していました。
「彼の将来のために、早いうちに鍛えておく必要がある」――と語っていました。
けれど、その新人は、わずか3ヶ月で退職しました。
面談で彼はこう言いました。
「最初は頑張ろうと思ってました。でも、何をしても怒られる気がして、何も言えなくなったんです」
「指導というより、自分が“ダメな人間”に思えてきた」
「誰かが見てくれている感じがしなかった」
これは典型的な「善意の暴走」です。
社長には“育てたい”という思いしかなかったかもしれません。
でも、構造としては完全にパワハラが成立していたのです。
「自分の正しさ」を疑う勇気を持つ
ここで一つ、自分に問いを立ててみてください。
「この正しさは、本当に社員のためか?」
「社員が傷つく可能性を考慮しているか?」
「いま自分が言おうとしていることは、本当に言うべきことか?」
この問いを持てる経営者は、すでに次のステージにいます。
正しさは大切です。
でも、それをどう届けるか、どんな関係性の上で届けるかは、もっと大切です。
社員を動かすのは、正論ではなく「安心」
人が本当に変わるのは、正論をぶつけられたときではありません。
「自分の存在が受け入れられている」と感じたときです。
失敗しても受け入れられる
意見が違っても尊重される
未熟でも見守ってもらえる
この“安心”があるからこそ、人は本音を語り、行動を変えようとします。
つまり、社員を動かす鍵は「正しさ」ではなく、関係性なのです。
まとめ:社長の“正しさ”は、両刃の剣
正しいことを言っているつもりが、社員には暴力として届いていることがある
社長は社員にとって、“言い返せない強者”である
善意の指導が、結果として人を壊すこともある
社員が変わるのは、“安心”がある職場だけ
次回は、**「“信頼できない社員”に悩む前に、自社の構造を疑え」**というテーマでお届けします。
「社員が信用できない」と感じたとき、
実は見直すべきは社員ではなく、**会社の“仕組み”や“環境”**かもしれません。
お楽しみに。